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押し花アート



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この素晴らしいアートは、押し花で作られています。


ブルージュのショップ開店30周年記念のお祝いとして、私たちは幸せな事に、この芸術的な作品を頂きました。贈り主のアーティストは、とても素晴らしい才能と、そしてさらに、万人に対する友情溢れる心を持った方です。

自宅でこの美しい作品を鑑賞するうち、私は押し花について調べてみたいと思いました。

押し花は、外形を保ちつつ色の明るさと水分を取り除くために、花びらや葉を分厚い本やフラワープレスに挟んで乾かすことで作られます。花を押さえることで花は平らになります。また、押し花にする事で、色の変化も楽しめます。その変化は、褪せた色への変化から生き生きとしたより強い色への変化へ、と様々です。出来上がった押し花や葉は、様々な手芸に利用されますが、中でも、台紙に貼って仕上げる方法がよく見られます。細心の注意をもって、一枚一枚の花びらや葉が、正確な場所に貼り付けられていきます。素材を創作的に利用する事で、例えばこの一対の丹頂鶴ほか、どのような形をも作り出すことができるのです。

押し花アートとレースにも関連があります。レースにあるような装飾的なデザインが、あちらこちらに見受けられます。冬の枯れ枝、雲の模様、風邪で波紋をなす水の表面、丹頂鶴・・・

何千年ものあいだ、日本文化は鶴を名誉と誠実さの象徴として大切にしてきました。

また、その他様々な文化においても、鶴は夫婦の絆や愛の象徴とされてきました。丹頂鶴は、野鳥界でも最も美しい舞を踊る鳥のひとつです。鶴の舞には、とても重要な意味があります。鶴の成鳥は、雄と雌の一対で暮らし、この舞が二羽の鶴の繋がりを強めるのです。

丹頂鶴は、平和と協調のシンボルでもあります。
丹頂鶴は15種類の鶴の中でも、最も深刻な絶滅の危機にある種の一つです。丹頂鶴の生息地は、中国とロシアの国境周辺。2国の協力のもと、この貴重な鳥の保護活動が開始されました。
この保護活動は、国際的な協力を必要とする自然や史跡保護のお手本です。もし、この鶴たちが姿を消してしまえば、アジアの人々は、幸運や平和の重要な象徴を失ってしまうこととなるでしょう。

私は、鶴が平和の象徴として重要とされている事実について、より深く知りたいと思いました。そして私は、とても魅力的な物語を見つけました。悲しい物語ではあるのですが、戦争の犠牲となりながらも、世界の平和に挑んだ小さな少女の物語を、世界中の人々に知って欲しいと思います。


折り鶴、佐々木禎子と原爆症との戦い

佐々木禎子は、1943年、日本の広島に産まれました。
禎子の両親は、我が子の健やかな成長を願いました。

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中央:母に抱かれる禎子

禎子が2歳の1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、禎子は家からほど近い、広島の三朝橋で被爆します。

禎子は火の海を生き延びました。彼女はその後も、健康で幸せな子供のように見えました。

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しかし、彼女が10歳の頃、学校で徒競走をしていて突然倒れます。病院に搬送された彼女は、“原爆症”白血病と診断されるのです。


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禎子 前列中央

禎子の親友・はまもとちづこが、病院へお見舞いにきました。ちづこは、銀色の紙を正方形に切ると、折り鶴を折りました。禎子は初め、なぜちづこがこんなことをするのか、解りませんでした。
ちづこは千羽鶴の話をしました。千羽の鶴を折りあげると、願い事がかなうという日本にある信念です。禎子は、願いをかけるという考えに勇気づけられます。そして、この信念に影響され、自分で鶴を折り始めたのです。折り紙が足りなくなると、禎子は薬の包み紙やお見舞い品の包装紙を使って鶴を折りました。


日本や中国では、鶴は幸運のシンボルです。千羽鶴の加護を受けることは、信念を超えて幸せになることです。禎子は、もし千羽の鶴を折ったら、病から回復し、退院することを願いました。禎子は、友人たちとまた一緒に遊べる様になることを、心から望んでいました。

しかし、禎子はまわりの人々がだんだんと弱っていくのを見ていました。誰も回復した人はいませんでした。死せずして病院を去る者はいませんでした。禎子は、自分の望みが叶えられることはないと、察していました。そして彼女は、その重大な望みを変えることにしたのです。

禎子は願いました。もし千羽の鶴を折ることができたら、人々が平和に暮らせますように。広島が、長崎が、戦争が繰り返されることのありませんように。禎子は世界平和を祈ったのです。

1955年10月25日、禎子の命は、彼女の手から滑り落ちました。彼女は2度と目を覚ましませんでした。


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禎子がこの世を去った後、子供たちは広島の平和公園と、鶴を抱く禎子の像設立の為に、ともに資金を集める活動をはじめました。1958年、佐々木禎子の銅像が、広島平和公園にて除幕されました。

そして、この禎子の物語は世界中に広まっていきました。

アメリカ、ワシントンのシアトルにも、禎子の像の建つ、小さな平和公園が設立されました。禎子の物語は、戦争がもたらす結果を子供たちに伝えました。この物語が、地球に平和な変化をもたらそうという一人一人の力を後押しすることができるかもしれません。
広島の平和の灯は、世界中の核兵器が廃止されるまで燃え続けます。毎年8月6日には、追悼の儀式が行われます。世界中に平和のメッセージを届けるべく、白い鳩が放たれます。

毎年11月17日世界平和の日には、シアトルや日本の禎子の像に掲げて欲しいと、何千もの人々が鶴を送ります。
世界中の子供たちが、鈴木禎子の思い出と共に、折り紙で鶴を折ります。鶴は糸でまとめられ、長い総のように像にかけられます。

禎子と禎子の作った千羽鶴を、思い出しましょう。美しい日本の丹頂鶴は、平和と協調の羽を世界中に広げることができるでしょう。

押し花で作られた鶴のフレームは、とても意味深い頂き物となりました。
我が家で大切にされていきます。