
レース産業は、19世紀初め、フランス革命後の危機を乗り越え生き残らなければなりませんでした。
1836年、孤児のためのレーススクールがゲント市に新しくオープンし、Sister Marie Joseph Virgine Vranckenが校長に就任しました。彼女は、新しいタイプのレースを開発することで、学校の収入を増やすことができるのではないかと考えます。
彼女は組み立て式レースの開発に成功し、そのレースは“ヴァランシエンヌ・ド・ゲント”もしくは“ヴァランシエンヌ・フロム・ゲント”と呼ばれました。1852年には、このレースの特許を取得していることから、いかに成功していたかがわかります。
いわゆるヴァランシエンヌ・レースとは技法が異なり、これは不連続糸技法によるボビンレースです。モチーフの花柄は、密に、そしてフラットに仕上げられています。このレースでは、パーツごとに分けて製作したものをストックしておき、注文があった際に組み立てるという方法をとったため、従来よりも早くレースを供給することができました。また、非常に大きい作品を作ることも可能でした。
ヴァランシエンヌ・ド・ゲントが成功を収めた証拠に、ゲント市が1853年レオポルド2世(ベルギー皇太子)とマリー・ハンリエットの婚礼祝いとして、このレースを注文しています。製作には80,000本以上のボビンが使用されたと言われています。
SIster Marie Josephの死後、彼らは事業の失敗を何度も繰り返し、1867年の特許終了とともにヴァランシエンヌ・ド・ゲントの生産も終わりました。
